特集記事:被災地復興ニュース その1「番屋みんこま」さん

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「あの日」から一年と四ヶ月ちょっとが経ちました。 

電気や水道も遮断されて、最初の数ヶ月間は、パニック状態にあった被災地でした。 それが、徐々に仮設住宅の建設その他の復興活動が実施されて、新しい年が明けて、 一周忌・・・。 当初のはちきれんばかりに張った空気が緩んだ昨今、愛する家族を 震災で失なったり、先祖代々から継承の土地をなくしたりした方達が、お先真っ暗な気持ちで、尊いご自分の命を断ってしまう、といった悲しいニュースも耳にする今日 この頃。。。

そんな中、昨年6月号から今年の7月号までシリーズで掲載させていただいた、岩手県陸前高田市の村上善彦さんのお便りからもうかがえるように、灰の中から舞い上がる Phoenix (不死鳥)のごとく、大震災の津波で瓦礫の山と化したふるさとを、ご自分達の手で復活させるべく、日々、前進されておられる被災地の方々も、たくさんおられます。

今月号で紹介させていただく「番屋みんこま」さんの経営者の小松夫妻も、不死鳥の  ごとく舞い上がられた方達です。 

宮城県気仙沼市の港に面して建つ「民宿コマツ」さんは、土地の人達に愛され、全国津々浦々からリピーター宿泊客が集まるお宿として知られる民宿でした。

私と主人は、2002年夏のお里帰りの際、MA州在住のMr.小松の妹さん・ロビンソン 律子さんの紹介で民宿コマツさんに泊めていただいたのですが、見ず知らずの私達のために、Mr.小松は、お仕事を一日休んで、ご自分のお車で気仙沼観光に連れていって  下さり、 このお宿のファン層が厚い理由の一つは、「一期一会」のお手本のような 小松夫妻のお人柄だ!という事を、身を以て体験いたしました。

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そして、2011年3月11日。。。 午後2時46分、宮城県牡鹿半島130km沖の海底を崩して揺れた震度9の地震は、午後3時頃、気仙沼を町ごと、容赦なく呑み 込んでしまったのです。(次の一枚は、2002年夏の気仙沼訪問中に、Mr.小松の 案内で訪ねた魚市場の活気に満ちた模様。)

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下の写真は津波警報が出てすぐ、停泊客やスタッフを高台に誘導されたMr.小松が、 悪夢を見る思いで撮られた一枚で、画面左中、樹木のてっぺん右上に見えるのは、濁流に流されていく民宿コマツさんの送迎バスです。

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ボランティア消防団員でもある小松さんは、ご自分が津波で流される直前までご近所を  飛び回って、お年寄り等の身動きがとれない方達の避難援助の為に奔走なさったそう  です。

大津波の水が引いたあと、見るも無惨な姿となった建物を前に呆然とされたのも束の間、小松さんは、全力投球で瓦礫撤去作業に力を注がれる中、大惨事から一ヶ月経った4月  11日、気仙沼港の水際で手を合わせ、震災で命を落とされた方達の冥福を祈り   つつ、民宿コマツ再建を決意されたのだそうです。

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(上写真は、Mr.小松撮影の、瓦礫と化した民宿コマツの建物。)

そうして、民宿コマツさんが建っていたのと同じ場所で始まった再築工事(下コラージュ参照)。 周囲で瓦礫撤去作業に日々汗水を流す方達のためにと、一階のフレームが 組み立てられた時点で、泥水から救出した机・椅子を並べた憩いの場(下右写真)や、自動 販売機数台を設置し(中右写真)、夜は目先も見えない暗闇の中、この自動販売機の明かりが灯台のようにあたりを照らして、地域の方達の心の癒しになったと 聞きます。

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今年4月11日のグランドオープニングを控えた飲食店免許取得のための気仙沼市保険局のインスペクションのお店に来られた検査官が、お店再建迄のいきさつを小松夫妻から聞きながら、眼に涙を浮かべておられた、というお話も律子さん経由でうかがいました。 ちなみに、番屋みんこまさんお店のライセンスは、東日本大震災後、気仙沼市で発行された 飲食店免許の第一号だったそうです。

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こうして復興への大きな一歩を踏み出された番屋みんこまさん、今後とも応援させていただくと同時に、起き上がりこぼしのごとく立ち上がり、不死鳥のように力強く羽ばたく小松夫妻の生き方は、私にとって、「自分も頑張るぞ!」という大きなエネルギーに 還元される素晴らしいお手本でもあります。  

今月号特集記事掲載に際して、律子さんからご挨拶メールを頂戴しましたので、このあとに記させていただきます。 

律子さん、ありがとうございました!

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キーライム通信編集スタッフの皆様へ、

毎月送っていただく「キーライム通信」を楽しみにしている読者の一人、ロビンソン 律子です。 私は、日本を離れて在米32年が過ぎました。 米国で手に入る食材を 利用した日本人の味覚に合うお料理コーナー等の米国での暮らしに役立つ情報が満載で、毎回楽しく拝読しております。

昨年の3月11日に起きた東日本大震災で、私の故郷の宮城県気仙沼市も被災し、  兄夫婦が経営していた民宿と住居が流失しました。

太平洋に面する海辺の小さな町で40年間営んでいたビジネスと大勢の知人と家族を 失い、途方にくれていた震災直後、ボランティアで消防団員としても活動していた兄は、地元の方達の家を一軒一軒回り、声をかけては体調を案じたり、支援物資の分配をしたりと奔走しておりました。

そして、震災一ヶ月後、ある事を心に決めました。 震災で仕事、家族、住居を一瞬のうちに失ってしまった人々にとって、心の拠り所となる「語らいの場所」、「集いの 場所」が必要だと感じ、心に深い傷を負った人々の為の癒しの場所を作りたい!と決断したのです。

れからは、毎日、仮住まいから通い瓦礫の撤去に朝から晩まで必死に活動してきま した。 津波で残された鉄骨を利用して二階建ての「住居」兼「食事処」を目指して 一年が過ぎました。 泥まみれになったテーブルや使えそうな椅子を集めて丁寧に  洗い、再出発目指しました。 建設中にもビニールを張った場所で、全国から送られてきた物資を運んで頂き、一ヶ月に一度、地元の方達へ足りない物を配分する役目等に従事してきました。 公共の交通機関も移動手段の車も失った地元の方にとって、月一の集まりは、笑顔が飛び交う憩いの場所となっていたようです。

決意をしてから1年後の2012年4月11日、多くの方のご支援やご協力のお陰で「番屋みんこま」を開設する事ができました。 震災から1年と4ヶ月が過ぎた現在も「番屋みんこま」の周辺の4つの部落は全壊されたままで、何もない寂れた荒れ地の ままですが、真っ暗闇に点灯される自動販売機やお店の看板の灯りや店内から聞こえるお客様の賑やかな声に癒され、閉ざされた生活空間に生きる灯火を与えてくれるよう です。

「番屋みんこま」では、皆様からご支援して頂いた飲み物を来客の皆様に無料で提供 しております。 昼食、夕食、等の他に、音楽や芸術の展示等、様々なイベントを開催する会場としても使って頂きたいと願っております。

今後も被災地の復興と日本の復興を目指し小さな活動をしながら、生きる希望を探し、地元の方達と一緒に歩んでいきたいと話しておりました。

キーライム通信スタッフ様達の活動を始め、世界中からのご支援に支えられて、一歩 一歩、小さな歩みですが、明日へ向かって前進しております。 皆様からの心温まる ご支援と応援に兄夫婦達も大変感謝しております。

皆様、どうもありがとうございます!  今後も、どうか、見守って下さいませ。    

感謝を込めて!

マサチューセッツ州、バークシャー在

ロビンソン 律子

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気仙沼市のボランティア有志から成り、律子さんのご主人・デービッドさんが編集長をしておられる ”Kesennuma – Building for the Future” というフェースブック・ページもご参照下さい。

http://www.facebook.com/kesennuma (英語)

「番屋みんこま」さんブログ:  http://ameblo.jp/banyaminkoma/

また、「みんこまでは、当店にお越しの方達に無料でコーヒーやお茶をサービスして  います」という小松さんのお話を聞き、みんこまさんオープンを前にして、サービス用の お茶やコーヒーを差し入れるアイデアが浮かび、日本各地の友達に声をかけましたら、大分や兵庫や京都の友人が早速行動に移して下さいました。 文末になって申し わけありませんが、支援物資を送って下さった皆さん、この場を借りて、お礼を申しあげ ます。 

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番屋みんこまさんの店内


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