被災地訪問 その1

タンパベイの東北支援クラフト活動でも大活躍の、へスター貴美子さんご主人

フィルさんが、十月中旬お里帰りの際、我々とご縁の深い岩手県陸前高田市の広田

小中学校および同市の方々や、宮城県気仙沼市の「番屋みんこま」さんを訪問

なさいました。 プロ並みのフォトグラファーで知られるフィルさん撮影の

写真の数々に貴美子さんがコメントを添えて下さり、訪問の間の感想まで記して

下さったので、今月号からシリーズで、掲載させていただきます。

(フィカラかこ)


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2012年10月18日(木)


朝早く東北に向けて出発しました。 東北大震災の後、この一年半ほど

ずっと、一度現地を訪ねたいと思っていたのですが、今回晴れて

実現することになり、タンパベイ界隈の日本人の皆さんが一生懸命

作って販売している数々のクラフトの売上げを送金させていただいて

いる陸前高田市の広田小・中学校を訪ねてきました。 また、私の

従姉妹の旦那さんが気仙沼出身なので、震災後の話も色々と聞いて

いたので、今回は、まだ行ったことのない気仙沼にも行くことに

なりました。 気仙沼では、キーライム通信の一員・カコさん

お友達の、ロビンソン律子さんのお兄様経営の「番屋みんこま」さん

のところにお邪魔することになりました。


午後3時過ぎに無事にみんこまさんへ到着。 

(番屋みんこまさん店内で、タンパベイからの寄せ書きを手に、小松ご夫妻と共に)

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小松さんご夫妻の経営されているみんこまさんは、ドアを開けて入った

途端ホッとするというか暖かい気持ちにさせてもらえるところです。 

お二人の最高の笑顔で迎えていただきました。 震災前は民宿を経営

されていたそうですが、今はお食事処となっています。 でもただの

レストランと違って、ここに訪れる人達がゆっくりお茶を飲みながら

くつろげるところです。


奥様のつぎ子さんのいれてくださったコーヒーを飲みながら震災当時の

を少しお聞きして、「暗くなる前に少し外の様子をみましょう。」と

いうことで、自転車をお借りして主人と近所を散策しました。 


まだまだ、瓦礫山がありました。 小さなボートが山積みになって

いるところもありました。 地震の後、地盤が1メートルほど陥没した

そうで、ちょうど潮が満ちている時だったので水浸しになっている所が

ありました。 途中道路が完全に水没していて自転車では通れない

ようなところもありました。(翌日主人が早朝一人で同じところへ

行った時には水が引いていて通れたそうです。) 


(みんこまさんのお店から自転車ですぐの所。

震災時の地盤沈下で満潮時はあちこちで海水が入ってきます。)

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その後、義人さん車でもう少し広い範囲を案内して下さいました。 


震災前の状況を知らない私達にも被害のもの凄さがひしひしと感じられました。 

車で案内して下さる間も小松さんご夫妻の震災後の様子をお話して下さいました。 

ご自分の事は後回しにして人助けに奔走されたお二人の様子が、

目に浮かぶようです。


(津波で大破した「ビジネスInn小松」の無惨な姿。震災直後に小松義人さん撮影。)

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夕食は、新鮮な気仙沼のお魚三昧!  戻りかつおのお刺身と煮付け、

さんまのお刺身と焼き物と佃煮、その他数々のご馳走を「男山」(地酒です!)

片手に(笑)堪能させていただきました。 お二人の心の籠ったお料理

数々に、心も胃袋も大喜びでした。


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2012年10月19日(金)


自家製の焼きたてクロワッサンとオムレツの朝食をいただいた後、朝9時に

予約しておいた気仙沼観光タクシーがみんこまさんへ到着しました。 


(タクシーが来てお別れの前にお店の前で記念撮影)

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これから陸前高田に向けて出発です。 朝一番はちょっと冷え込んで

いましたが、寒さも和らぎお天気もよく快適なドライブでした。


陸前高田市に入り、気仙沼かなり違う印象を受けました。陸前高田市の方が

片づけが進んでいて、瓦礫の山もあまりなく、家が建っていたところも瓦礫が

取り去られて以来かなり時間が経っているので雑草が生い茂っていて、

初めて訪ねた私達には、津波で家が流された跡のようには見えませんでした。


(気仙沼観光タクシーの藤田運転手から色々とお話を伺いながらの

陸前高田への道中で見かけた、津波で道路が流されて

土台だけが残った津波の傷跡。)

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ところどころ大きな鉄筋コンクリートの建物が残っていて、

近くでみると、津波の爪あとが見えますが、

遠くからだとそれも判らず、

まるで何もなかったかように見えました。 


(陸前高田市の市民体育館。ここは避難所に指定されていて、

沢山の人がここに避難して亡くなられたそうです。)

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タクシー運転手の藤田さんにお尋ねしたところ、これは

主に両市の市長さんの決断の違いによるものだそうです。 陸前高田市の

市長さんは、人員救助は勿論の事、遺体の確認等にも全力を注がれたよう

ですが、それ
と同時に瓦礫の撤去にも力を入れられて
いたようです。 

その反面、気仙沼の方では、瓦礫の撤去にかなり遅れが出ているそうです。


広田小学校の校舎に着き、校長室へ向いました。 


小学校の校長の松村先生と副校長の平野先生と中学校の副校長の千葉先生に

ご挨拶をして、タンパベイの皆様からの寄せ書きをお渡ししました。


(広田小学校・校長室にして。後列左から松村校長先生、平野副校長先生、

千葉(広田中学校)副校長先生。 前列中央は、タンパベイからの

寄せ書きを手にする村上拓人くん。)

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先生方から震災当時のお話を伺いながら、いろいろ写真も見せていただき

ました。穏やかなお天気の中、校舎の窓から見た景色は、津波で流された

家々が写っている写真の中のものとは全く違う世界でした。


(広田小学校校庭の外に立つ石碑。 松村校長先生が指差すレベルより

下の地域には家を建ててはいけないそう。

石碑には、明治と昭和の津波の記録が刻まれています。)

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そのあと、あの村上拓人君が校長室にやって来ました。 身長も伸び盛りの

小学校六年生で顔立ちも前に見た写真より大人っぽくなっていましたが、

ちょっとはにかんだ笑顔の可愛いスポーツ刈りの野球少年です。 

中学生と高校生のお兄さんたちも野球少年だそうです。

 

(広田小学校の校長室から見た景色)

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そこに中学生の(拓人君の)お兄さんの隼人君が校長室にやってきて、

祖父母様達が学校の隣りの仮設住宅の集会所で待っていらっしゃると

いうことで、急いでそちらへ向かいました。


集会所には、拓人君の祖父母様とキーライム通信に

たくさんの記事と写真を送って下さった村上善彦さんのご両親と

奥様のペリータさんいらっしゃいました。


(広田小学校敷地内に在る仮設住宅集会所にて。

左から、村上善彦さんのご両親、奥様のペリータさん、私、

村上拓人くんのご祖父母様。)

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タクシーの時間あって少ししかお話できませんでしたが、皆様にお会いできて

よかったです。 拓人君の祖父様からは、大きく引き伸ばしてラミネート

加工された写真もいただきました。 ペリータさんからは、仮設住宅の皆さんの

手作りクラフトのお土産もいただきました。


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へスター貴美子さん 寄稿



                         (1月号に続く)

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