2024年8月 地元情報

Tamiami Trail

タンパからマイアミを繋ぐハイウェイ・Tamiami Trail の名前の由来は
Tampa + Miamiだというのは周知な事ですが、
この道路が出来た以前のいきさつに、
インディアナ州の事業家が関わっていたことは、
知られざる歴史なのでは?と思います。

18歳の頃に兄弟二人と一緒に
自転車ショップをオープンしたことに始まり、
30歳そこそこで(多分)米国初の自動車ディーラーをオープンした Carl G. Fisher は、
1909年に開幕した「the Brickyard」のニックネームで知られる
Indianapolis 500 Race Track を構想・考案・融資・建築したあと、
マンハッタンのTimes Square とサンフランシスコのLincoln Parkを結ぶ
ハイウェイ建築を考案・実践して
「リンカーン・ハイウェイ」- 3,389mile – が1915年に完成しました。



そんな中の1910年に奥さん同伴でマイアミを訪れた彼は、
その頃はほとんど草木が茂る砂地や
ワニが繁殖する沼地ばかりだった当地に惹かれて、
コレと思う不動産を買い始め、
それから間を置かずに、
シカゴとミシガンからマイアミを繋ぐ
ハイウエイ(全路5,786 miles)を考案して
「Dixie Highway」と呼ばれる道路が誕生しました。

Henry Flagler率いるStandard Oil会社が構築した
JacksonvilleからKey Westを結ぶ
Florida East Coast Railway(FL東岸鉄道)に加えて、
Carl Fisher によるマイアミ開発の波に乗り、
タンパとマイアミを結ぶハイウェイの構築が
考案されて始まったTamiami Trailの工事は、
Everglades (沼湿地)の高速道路への改造が想像以上の困難の結果、
州の予算が1922年に底をつき、
資産家・Barron Collier が工事完成に必要な資産投入を同意して(注)、
1928年に完成しました。



注:Barron Collier の資産投資には、
彼の名前「Collier」を
FL州の群の一つとして加えるという条件がありました。

後記:一時には、現在の資産価値で言えば、
ほぼビリオネアだったCarl Fisherは、
1926年9月にマイアミ地域を襲ったハリケーンで
所持する不動産が壊滅し、
この数年後に始まった世界経済恐慌に加えて
離婚・アルコール中毒と続いてほぼ全財産を無くして、
最後はマイアミビーチの小さな小屋に住み、
知合いから頼まれた雑務で賄っていたそう。

その反面、
現在、超リッチな住民の住むところとして知られるFisher Island(左)は、
彼にちなんで命名された場所です。



彼は1939年7月に65歳で他界。

ページ担当:フィカラかこ

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