キーライム通信8月号

今年の四月号で15年目を迎えたキーライム通信。 五月号の編集長・のり子さんの表紙ご挨拶記事を皮切りに、編集部それぞれの「十五年回顧談」を記させていただいております。


のり子さん・由紀子さん・三樹さんの三人柱で1998年4月に創刊号がたちあがったあと、寿美さんと私が編集部に加わったいきさつで、由紀子さんが「吉備団子も提げていなかったのに、『仲間になって一緒に…』」と書かれていました。(六月号表紙記事) 岡山生まれの私は、由紀子さんの比喩がとても嬉しかったのですが、桃太郎の物語で、吉備団子に惹かれて(?)二番目にお弟子になったサルの干支生まれの私と、巳年ですが私とお誕生日が同じ日の寿美さんが、ほぼ同じ時期にキーライム編集部のお仲間に寄せていただいたのは、多分、2000年のことだったと思います。


正式に編集部に加わる前に、何度かキーライム編集部の編集会議に寄せていただいたのですが、会はいつでも、楽しい会話が飛び交い、それを中断するような感じで、編集長のり子さんが用意して下さった会議事項リストを手にキーライム通信に関する話し合いが始まり、いつの間にか、また楽しい話にトピックが変遷して、笑いに満ちた会話が続くうちに時間が経ち、まだもっとお喋りしたいのに、時間切れでおいとま・・・ というパターンだったのが、強い第一印象でした。


部員の人数が増えるにつれて、全員の都合の良い日を見つけるのが難しくなり、最近では、多くても一年に2度ほどしか「会議」として集うことはなくなりましたが、インターネットがあるおかげで、連絡が不足になることは無いのが、ありがたいことです。


通信創刊の頃は由紀子さんも三樹さんも小さいお子さんお二人を抱えて、さぞお忙しかったろうと思います。 そんなお二人も、上のお子さんはもう20代! そして、寿美さんが編集部になられたあとに生まれたハム家の子宝・アレックスも今年の秋で11才になります!ということは、編集部員も、その分だけ年を重ねてきたわけですが、私の意見では、どなたも以前より輝きを増して、来る年がコワがって寄ってこれないようなパワーがみなぎっているように思えます。(^_^)


2008年8月号からは、コニカミノルタ社のご協力のおかげで、高質な紙に全カラーの印刷版となり、また、亜矢さんと(彼女の昔からのお友達の)岡田さんのおかげでキーライム通信HPがアップして、サイバースペースを伝って、世界の隅々まで瞬時でキーライム通信をお届けすることが出来るようになりました。


そして、2011年3月11日に東北地方を襲った大地震・大津波・放射能汚染。。。

地球の裏側のタンパベイで住む我々の地盤も大きく揺れ、自分達の「普段」の生活も、津波で流されてしまったような気持ちで、編集部は勿論のこと、タンパベイ在住日本人の意識が強度に変わった、と云っても過言ではありません。  


「喉元過ぎれば熱さ忘れる」とまではいかないものの、被災地以外での当初の衝撃に 風化傾向が見られる中、キーライム通信を通じてご縁を授かった皆さんと力を合わせて、微力なりとも被災地の皆さんのお役に立つべく、地道で気長に支援活動を続けて いこう!と、仲間うちでエールをかけ合っております。


最後になり申しわけありませんが、これまでの間、キーライム通信のために、陰になり日向になりご助力くださった購読者の皆さんに、心から感謝の祈りを捧げます。 今後とも、どうぞよろしくお願いいたします。

                フィカラかこ


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