被災地からのお便り(その8)

先月号から続き、震災当日((2011年3月11日))の
村上さんの回想メモを紹介させていただきます。
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Hanagai 5.8.2011 (1).jpg
3時20分過ぎ: 大船渡湾の方を見て写真を撮っていました。
3時45分: 携帯電話をしても駄目です。
 
携帯メールも返事がない状態でした。
とてつもない津波が押し寄せ始めて、
広田は大丈夫か? ちゃんと避難所に逃げたか、
とても心配でした。 
その後、広田に戻ることにして広田方面の
道路に出ましたが、火災や通行止め状態で
戻ることが出来なくなりました。 
なので、遠回りの道ですが、
内陸の道を使うことにしました。
Hirota Beach 5.5.2011 (2).jpg
2時間以上もかけて内陸経由で高田方面に進みました。
途中でがけ崩れがかなりあり、道に石ころが転がり、
地割れの道も多くありました。
何とか陸前高田市の外れまで来たところ、
気仙川沿いの道で津波が6キロもさかのぼっていて、
高田を目の前にして、進むことが出来なくなりました。 
それからは、山道を色々なルートを走りながら、
舗装されていない道を上がったり、下ったりして、何とか
広田半島の入口までたどり着きました。
そこでは、消防団が道路を封鎖していました。 
消防団に聞くと、広田半島は、島になっていて、
広田には行けないと言われました。
 ほとんどの道は津波で壊されて通行できないと
聞いて呆然としました。
闇の世界で何も見えない状態でした。 
波の音が不気味に聞こえました。
Hirota Beach 5.5.2011 (7).jpgたたずんでいると、そばの家の人が炊出しで、
おにぎりとたくあんを持ってきて、そこにた方に
分け与えて下さいました。 本当にありがたかったです。
それから、妻が大船渡市末崎にある親戚の家は
高台にあるので大丈夫でしょう、と言って、行くことにしました。
Otomo-cho 4.1.2011 (3).jpg
なんとか親戚宅に着いたら叔父が居て、
末崎の家は津波で流されて、何も無いと言っていました。
親戚の家は、地震で食器や戸棚が倒れたりガラスが散らかって
いましたが、高台なので家は大丈夫でした。 
電気も、水道も、電話も全て使えない状態でした。
ガスは、プロパンガスなので、
何とか食事することが出来ました。
余震で寝ることが出来ない中、一晩を過ごしました。
翌朝は早く、淳(大学生)と広田に行けるかどうか、
道路状態を見にいきました。 何とか、旧道が行けそうなので、
戻り、朝食は、末崎中学校の避難所でいただき、広田に向かいました。
消防団が何とかがれきを撤去し、畳を敷いて
車が通れるようにしていました。
消防団の次に広田に渡り、自宅をめざし行くと、
大野地区が水没していました。
3.12.2011 BEFORE 3.12 & AFTER 5.6 (1).JPG
自宅は二階部分のみが残り、あとの部分は
流されていました。(上写真) 
道路が通ることが出来ない状態で、
車を降りて山を登り、
避難所の広田小学校まで歩いて行きました。
想像を絶する光景に、
夢のような感じで実感が湧かなかったです。
SiFi映画のようでした。
避難所の広田小学校には、
大勢の人が避難していました。
Hirota Elem School 5.7.2011.jpg
当日は体育館ですごし、
翌朝には、地区ごとに部屋割りがなされて、
各教室に移りました。

両親、それに賢(高校生)の姿を見て、
本当にホットしました。
叔父、おば、親戚も、みんな避難していたので
よかったです。 妻は、抱き合って涙を流していました。
今、私は当時の事を書いていますが、
思い出して涙が出てきました。
賢のクラスメートで蒲生君の両親やおばあちゃんが、
一緒に高田から連れてきてくれてありがとうと言われました。
もし、一緒に連れてこなかったら、津波に流されていたことでしょう。
以上 当時を思い出して書いてみました。
5月31日
陸前高田市立広田小学校 避難所内
村上善彦
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Hirota Clinic Foyer 5.7.2011.jpg
XX 様
仮設住宅に関して、拓人君の仮設住宅の写真を撮りたいのですが、
機会がありません。 それに、仮設住宅に入居された方々は、
なかなか、出て歩かないようです。 天気も悪かったせいもあり
ますが、なかなか外に出ないようです。 プライバシーもあるので、
写真を撮りにいけません。 ただ、拓人君のところは3DKなので、
何とか頑張っていると思います。
Takuto-kun's House 5.7.2011 (1).jpg(津波で崩壊した拓人くんの家 5月7日撮影)
拓人君のおばあちゃんは、洗濯に忙しいと思います。 以前は、
わきみずで手洗いしていました。 今は、洗濯機があるので、楽に
なったでしょう。 なんせ、子供たち三人ともが野球をしているので、
毎日の洗濯が大変でした。
支援金については、仕方ありませんね。
それよりも、チーム福井の方々の活動が、広く伝わるといいと
思います。 福井県、ボランティア、企業などなど、チーム福井の
皆さんの活動は、すごくうまく行き届いていました。 
ここ、陸前高田市が担当になったいきさつはわかりませんが
(岩手県で陸前高田市の支援活動をお願いした?)、早くから、
広田小学校の一角で活動をされていました。
ローテションがうまく、引継ぎもうまくいっていて、地元に必要な
ものが何なのか、など、よく見ていたと思います。 いつも、チーム
福井のゼッケンを付けているので安心感がありました。 
福井県警も来ましたし、給水車も見かけましたし、
保健婦さんもボランティアの方も、炊き出しの方も、
わざわざ福井より炊き出し用の水まで持ち込みました。 
本当に連絡がうまくいった活動だと思います。
6月3日
陸前高田市立広田小学校 避難所内
村上善彦
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XX 様
昨日6 月2日夕方、広田小学校の校長先生に、
XX様のお話しをしてきました。
広田小学校の校長先生は、4月からここ広田小学校に
赴任してきました。 校長先生の家は高田に在って、
津波で流されたそうです。 親御さんも亡くされたそうです。
Hanagai 5.8.2011 (2).jpg(花貝海岸 止まった時計が津波到来の時を知らせています)

長い間おしゃべりをしてきました。 あの日どうだったか、など。。。
それから、XX様の事を話しました。 本当にありがたいことです、と
言ってました。 校長先生も、義援金を振り込んでいただく口座を
今月中に作るそうです。 少々待ってくださいとの事でした。 また、
XX様のメールアドレスをお渡しいたしました。
ただ、小学校には、固定電話も、インターネット回線も、
まだつながっていません 連絡などは、携帯電話でしているそうです。
インターネット回線が使えるようになりましたら、メールするそうです。
また、小学校同士で、交流が成されればいいね、と言っていました。
それから、親を亡くされた児童について、あしなが育英会が特別
一時金を出すことを伝えましたら、既に対象の児童からは申請が
上がってきているそうです。 学校が代わりには行わないようで
した。 学校側としては、申請してください、と伝えるだけのようです。
http://www.ashinaga.org/higashi_nihon/
あしなが育英会では、東日本大地震・津波で保護者が死亡・行方
不明または重度後遺障害の0歳児から大学院生までに返済不要の
「特別一時金」を支給していますが、大幅に増額することを5月
28日の本会理事会・評議員会で決定しました。
未就学児10万円~50万円、小中学生20万円~50万円、
高校生・浪人生30万円~80万円、大学・専門学校・大学院生は
40万円~100万円と、それぞれ増額します。 
これは、この「特別一時金」の支給などのために呼びかけた募金が、
当初の予想以上で、既に3万4千件・17億円ものご寄付を
いただいているためです。 ご寄付をできる限り早く、より多くの額を、
親を亡くした子どもたちに届けます。
小学校のほうは、このような内容でした。
Hirota High School 5.7.2011 (2).jpg
(広田高校校舎 5月7日撮影)
今度は、中学校の校長先生から、話を聞いてきますので、
少々お待ちください。
私のメールについての問合わせですが、大船渡病院へ
避難しました。 地図だと海から近いのですが、かなり高台に
あるので地震、津波の影響はなかったです。
蒲生くんのご両親やおばあちゃんについて、高田より、蒲生君の
自宅に届けたのでした。 蒲生君の自宅は高い場所にあり、地震、
津波の被害はありませんでした。 ただ、被災された人たちを
住まわせて、面倒を見ていたようです。
また、メールいたします。
6月3日
陸前高田市立広田小学校 避難所内
ページ担当: フィカラかこ
村上善彦
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