東日本大地震(東北地方太平洋沖地震)の概要

 

子供の頃、地震の避難訓練で、言われた「地震は1分間以上続かないので、最初の1分を無事に乗り越えれば大丈夫。」の教えは、今回の東日本大地震には通用しませんでした。日本時間311日午後246分頃、三陸沖を震源としたマグニチュード9.0の大地震は、東大地震研究所の解析によると日本全土で6分間続いたそうです。気象庁発表によると、地震の規模としては1923年(大正12年)の関東大震災M7.9を上回る日本国内観測史上最大、アメリカの(USGS)の情報によれば1900年以降、世界でも4番目のものとなりました。警察庁発表による死者数は318日時点で、行方不明者も含めれば戦後初めて1万人を越える戦後最悪の自然災害となっています。

本震の概要    

 

315630分までの震央分布図

震源三陸沖(牡鹿半島の東南東、約130km付近)、深さ約24km(暫定値)、震源域岩手県沖から茨城県沖までの広範囲に及び、宮城県栗原市で震度7。震度7を観測したのは、2004年の新潟県中越地震以来7年ぶり(観測史上3回目)主な震度(仙台:震度6東京5分間にわたって揺れ、震度5強、大阪:震度3

気象庁などの分析により、この地震は単一ではなく、3つの地震が連動したものと解析されたそうで、同庁地震予知情報課の課長は「5分前後かけて連続して発生するという、複雑な起こり方をしている。極めてまれで、気象庁の観測で初めての経験」と述べています。文部科学省地震調査委員会によれば、破壊断層は南北に400キロ、東西に200キロの広範囲で、少なくとも4つの震源領域で3つの地震が連動発生し、断層の滑り量は最大約20メートルに達したとのことです。聞くところによると、1000年に一度の大地震だそう。私達の想像を遥かに超えた巨大地震だったのです。この地震の名前は、気象庁によって東北地方太平洋沖地震と命名されましたが、マスコミ各社、自治体によって、東日本大地震などと違った名前で呼ばれています。余震の回数は319日現在までに300回近くも起きています。

津波

この地震で12日午前0時までにオホーツク海沿岸から小笠原諸島四国まで大津波警報北海道から大隅半島までの太平洋側沿岸及び北海道の渡島半島の西側、九州東シナ海沿岸、奄美諸島・トカラ列島、沖縄本島地方、宮古島・八重山地方、大東島地方に津波警報など、日本の沿岸全てに対して、大津波警報、津波警報、津波注意報のいずれかが発令されました。

この津波によって、三陸沿岸をはじめとする全国各地で被害が発生し、特に岩手県宮城県福島県3県では海岸沿いの集落や、名取川などの河口周辺から上流に向け数キロメートルにわたる広範囲が水没するなどの甚大な被害が出ました。

岩手県の宮古市田老地区では、明治三陸地震昭和三陸地震での津波被害を教訓として高さ10m、総延長2800mの防潮堤が建設されており、日本でも甚大な被害を出した1960年チリ地震による津波に対しては被害を皆無に抑えたが、今回の津波はその高さを乗り越え、防潮堤そのものも580mにわたって粉砕し、地域は甚大な被害を受けました。福島県の相馬港では、7m30cm以上の津波、他にも大洗や宮古また釜石の観測点でも4m以上の津波が計測されました。三陸海岸での津波の高さは1m以上になっていたと推定されます。地震そのものの被害よりも、この大津波によって、壊滅的な状況となり多くの尊い命が犠牲になりました。今回の東日本大地震で、犠牲になられた多くの方々のご冥福をお祈りすると共に、被害を受けられた被災者の方にお見舞い申し上げます。一日も早く、被災者の方々に救援の手が届き、少しでも落ち着いた生活に戻れますように強く強く祈ります。

被災者の中の小さな子が 両親を探してリポーターにつぶやいたひとこと

・・・ 今までが どんなに 幸せだったかと思います 。  

このお子さんが元気なご両親と一日も早く、再会できますように。

 

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