特集:Anne サチコ Welshさんへの感謝

英語で言えば、It is a greathonor for us to introduce Sachiko Ann Welsh-san. というフレーズがぴったりです。私共の20年越しの念願、彼女のインタビュー記事の掲載が実現しました!
やっとお許しが出て(‘艸’)ワクワクしていますが、どこまでアンさんの素晴らしさを伝えられるか? 正直1頁半で収めるのは至難の技です。

92歳の今でも、どんどん運転して何処へでもいらっしゃる。知り合った30年前より行動力・体力・知は全く衰えていないどころか益々増していらっしゃる。驚異のシルバーパワーであり、私共は心より尊敬しています。まずは、そんな彼女の学歴・経歴を紹介させていただきます。


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フロリダ州立大学修士号(Library Science)
1969‐1993 ディド郡内の公立中学・高等・成人学校にて図書館学及び日本語を教育
1992‐1994 連邦政府の資金を得て、日本語レベル1年生向けマルチメディア番組「いちばん」を作成・放映し、6校にて日本語を同時に教育
1996-2004 南フロリダ大学にて日本語クラス教授(1-3年)
1995‐2008 Association of Florida Teachers of Japanese(AFTJ)の秘書、及びニュースレター発行者として活動
1999年―現在 南フロリダ大学付属のOsher Lifelong LearningInstitute(OLLI)で年三回日本歴史・文化のクラスを教授

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経歴をご覧になってお分かりになるかと思いますが、まさに彼女はフロリダ州における日本語教育の先駆者であり、1985年以降公立中学・高校での日本語クラスが外国語としてクレジット化となった立役者でもあり、又1994年のAFTJ設立にも大いなる貢献をなさいました。

こうしたキャリアに加えて、特筆したいのは彼女のボランティア活動です。南フロリダ大学を引退後、毎年、中・高校生向けのImmersionDay日本文化の日を今まで15回開催なさいました。読者の皆さんの
中にもお手伝いなさった方はいらっしゃると思いますが、これは大変なイベントでした。

習字、着付け、生け花、折り紙、漫画、等々の項目に分かれて200名余りの生徒たちに実際に日本文化に触れる機会を設けて、お昼は日本食料理店からのお弁当に皆で舌鼓を打ち、楽しみながら日本に居るような1日を経験することが出来たのです。

各回ともこの日本文化の催しを楽しんだのは色々な学校から集まった200名近くの生徒達でした。一日がかりのこのイベントをアンさんは計画、準備、ボランティア集め、片付けなどを全て一人でなさり、
その日は朝から晩まで駆け回っていらっしゃいました。彼女が70代~80代の時です。この他にタンパベイアジア祭りの日本を代表する役員としても、8年間活躍なさいました。これは正直、とっても大変なお役で、他に誰も代わって務めようという日本人は、今のところ他に一人も現われておりません。

これまでの彼女の功績を、日本政府は2017年11月に瑞宝双光章といった形で感謝の意を表しました。3月のランチョンではこの勲章を実際に皆さんとシェアして下さいました。写真をご覧ください。

個人的にアンさんと知り合った頃は、彼女はフロリダ州の日本語教師会(AFTJ)の世話役として、タンパとマイアミを一人で運転なさって何度も往復していらっしゃいました。驚くほどのフットワークの
軽さ、勇気、努力、そして、今思い出しても完璧なAFTJでの書類管理(会計、議事録、ワークショップなど)と言い、その仕事ぶりは余りに素晴らしく、大谷選手も顔負けの、フロリダのユニコーンに違い
ありません。

何度かご一緒させて頂いた時にも感じましたが、アンさんはまた、フロリダ#1の通訳・翻訳者ででいらっしゃると思います。長年に渡りミス・ユニバースの通訳、シティグループ・デルタ航空・カーニバルクルーズ・ナサ関係の翻訳などに携わり、ご自分では英文の著書も2冊出版されています。

いつも小柄な体に(もしかしたら私より小さいかも)溢れるような笑顔を浮かべ、一人で重い荷物もちゃっちゃと運び、涼しい顔をしておられた。腰痛でヒイヒイ言っている我が身を思うと、まさにミラクルです。

お宅に伺うと、お掃除が行き届いたお宅には、スーパーのゴミ袋などが、まるで新品のように皺ひとつ無くキープされ、ご自分で描かれた絵が飾られていて、いつ寝ていらっしゃるのか?と不思議に思うほど。洋裁もお得意で、ご自分のお洋服や娘さん達のお洋服のみならず、タンパやフロリダでの日本のお祭りの法被を手作りで100枚近く作られました。素晴らしい法被でプロそのもの! ナーシングホームの車椅子に使うクッションなども、驚くほどの数を作って寄付されています。娘さんがご結婚なさった時には、こうした洋服の端切れで作ったキルトのベッドカバーをプレゼントなさったそう。そのどれをも楽しんでなさっていらっしゃる。お子さん、お孫さん達にとってもスーパーな母・祖母さんなのです。

アンさんが国際結婚でアメリカに来た頃は、日本そのものがあまり知られておらず偏見、差別、無知、無理解など色々なご苦労があったことでしょう。そんな環境の中で、日本を、日本の文化を、歴史を知って欲しいと身を粉にして動かれてこられた。日本人としての誇りを保ちながら、草の根の日米交流を一つ一つ積み上げてこられたのだと思います。

アンさんの世代でアメリカで生きた日本女性は、殆どの方々が、日の丸を背負い、そういった生き方をなさっていらしたように思えます。そのおかげで、日本に対する見方が変わり、私達が今アメリカで生活することがどれだけ楽になっていることか。大勢のアンさんがいらして、道を開き、地ならしをして下さったのです。


私たちは、心から、アンさん、そして、たくさんのアンさん達を尊敬していますし、今ここに感謝の気持ちを表わしたいと思います。そして92歳で、あれほど軽やかに行動し、柔軟な頭と多彩な才能で、今も尚社会に多く物を還元なさり、常に茶目っ気たっぷりで、少女のような笑顔いっぱいで接してくださるアンさん、本当に素晴らしい先輩に恵まれたと思います。これからも益々お元気で、今以上にはつらつと、私たちを導いて下さい!とお願いしたい気持ちでいっぱいです。

ページ担当:ハインズのり子

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