先月号に続いて、3月11日以来、岩手県陸前高田市に在る広田小学校で避難生活をしておられる村上さんからのお便りと写真を紹介いたします。 今回は、Uさん(村上さんのお便りの中では「XX様」)の、『避難所の生活で、特に皆様がお困りのことなどございましたら、お聞かせ下さい。』という質問への村上さんのお応えの途中から始まります。
* * * * * * * * * *
(広田中学校周辺の模様 4月27日撮影)
義援金に関しては小学校、中学校の回答待ちです。 私が意見を言うのは変な気が
しますが、教育資金等の育英資金的なものなど、児童生徒のためになるのが一番良いの
ではと思います。 特に親を亡くされた子供たちが今後進学や、学習塾、習い事などに
お金がかかると思います。 子供たちの将来のためになるのが良いような気がします。
それに、これから支給される災害援助金、義援金などは、被災者一人ひとりに、支給する
ものではなく、世帯ごとなので、子供のいる家庭は、これから大変だと思います。
しますが、教育資金等の育英資金的なものなど、児童生徒のためになるのが一番良いの
ではと思います。 特に親を亡くされた子供たちが今後進学や、学習塾、習い事などに
お金がかかると思います。 子供たちの将来のためになるのが良いような気がします。
それに、これから支給される災害援助金、義援金などは、被災者一人ひとりに、支給する
ものではなく、世帯ごとなので、子供のいる家庭は、これから大変だと思います。
最後に、私の自己紹介をします。
村上善彦 牡蠣の仕事をしておりました。
村上ペリータ Perlita (妻)フィリピン共和国
村上淳(釧路公立大学2年)
村上賢(高田高等学校2年)
村上宗夫(84歳父)
村上さつ(79歳母)
2000年までは、神奈川県でコンピュータのシステム開発をしていましたが、関節リュウ
マチで、妻の国フィリピンマニラに移住しておりました。 子供たちはマニラ日本人学校に
いましたが、日本での進学を希望したため、2009年に岩手県陸前高田市広田町に
戻ってきて生活を送っていたところでした。 XX様の活動に感謝しております。 あまり
無理をしないで健康管理に気を付けてください。 お子様のため、旦那様のため、
お体を大切にしてください。
マチで、妻の国フィリピンマニラに移住しておりました。 子供たちはマニラ日本人学校に
いましたが、日本での進学を希望したため、2009年に岩手県陸前高田市広田町に
戻ってきて生活を送っていたところでした。 XX様の活動に感謝しております。 あまり
無理をしないで健康管理に気を付けてください。 お子様のため、旦那様のため、
お体を大切にしてください。
4月28日 広田小学校避難所
村上善彦
XX 様
今日は天気晴れ。 昨日は忙しくて返信でききませんでした。
今日は連休に入ったので、ボランティアの方々が訪ねてきました。 午前中に東京から、
お菓子、服、文房具、食料品、などを持ってきてくれた方々がいて、好きなだけ、数量に
制限なくいただけました。 避難所の方々が喜んでいました。
お菓子、服、文房具、食料品、などを持ってきてくれた方々がいて、好きなだけ、数量に
制限なくいただけました。 避難所の方々が喜んでいました。
昼前には、東京から、とんこつラーメンの炊き出しが来ました。 妻たちも昼食の用意をしなくてすむので、助かりました。 午後からは、森昌子さんのが予定されています。
全国の人々の、暖かい思いやりに感謝している毎日です。
全国の人々の、暖かい思いやりに感謝している毎日です。
昨日4月29日も、体育館で救援物資の支給がありました。被災者は午前で、午後は、
自宅がある方たちにも支給されました。 一人、衣服が5点、靴が1足までで、
15分間で選ぶシステムでした。
自宅がある方たちにも支給されました。 一人、衣服が5点、靴が1足までで、
15分間で選ぶシステムでした。
昨日が震災から49日目でした。 広田の私達の地区では、今日供養の法要が行われ
ました。
ました。
(広田小学校避難所の拓人くん一家の部屋での取材風景)
午後、読売新聞社の記者 千葉支局 大森祐香さんが教室に訪ねてきて、拓人君の事を
伝えたら取材したいと言われ、XXさんの事を伝えました。 メールアドレスも聞かれました
ので教えました。 その後、拓人君に届いた写真の事やお手紙の事を聞いていました。
もしかして、そちらにメールが届くかもしれません。 ちなみに私達も被災いたしました。
家も流され、拓人君と同じ教室で一緒に寝起きしています。 現在この教室で寝起きして
いる人は、今日現在24名です。 当初は35名もいました。 同じ地区の人たちが、
同じ教室に割り振られて生活しています。
伝えたら取材したいと言われ、XXさんの事を伝えました。 メールアドレスも聞かれました
ので教えました。 その後、拓人君に届いた写真の事やお手紙の事を聞いていました。
もしかして、そちらにメールが届くかもしれません。 ちなみに私達も被災いたしました。
家も流され、拓人君と同じ教室で一緒に寝起きしています。 現在この教室で寝起きして
いる人は、今日現在24名です。 当初は35名もいました。 同じ地区の人たちが、
同じ教室に割り振られて生活しています。
(避難所となっている広田小学校の教室)
広田町は過去にも、津波の被害を何度か受けている所で、自主防衛組織が出来ていて、
津波の時のために、食糧や毛布等の備蓄がありました。 避難訓練も年1回は実施して
いて、地震が来たら、すぐ高台に逃げる意識は非常に高かったのですが、今回の津波の
規模はあまりにも大きく、広田でも犠牲者が出ました。 私たちは、家族みな元気です
ので、大丈夫です。
津波の時のために、食糧や毛布等の備蓄がありました。 避難訓練も年1回は実施して
いて、地震が来たら、すぐ高台に逃げる意識は非常に高かったのですが、今回の津波の
規模はあまりにも大きく、広田でも犠牲者が出ました。 私たちは、家族みな元気です
ので、大丈夫です。
仕事も、以前神奈川県で仕事をしていたところより、誘いの連絡があり、仮設住宅に入居
できた後に神奈川に単身赴任を考えております。
できた後に神奈川に単身赴任を考えております。
私たち家族より、親を亡くした子供たちの将来のためのご活動ください。
本日、アメリカNYの岩手県人会の方(女性)が、一人で、広田小学校避難所にマッサージをしに来たました。 彼女も、何か被災者のためにと、わざわざニューヨークから、一時帰国した、お年寄りの体をほぐしておりました。
最後に、こちらからのメール、写真は、募金活動等に役立つことができれば、私も
うれしいです。 後も、知りたい情報がありましたら、メールしてください。
うれしいです。 後も、知りたい情報がありましたら、メールしてください。
お体を大切に、無理のないご活動をしてください。
4月30日 陸前高田市立広田小学校避難所
村上善彦
村上善彦
(4月29日の夕食)
(お風呂用のまき割り風景。 木材は津波で崩壊された家屋のがれき。)
(まき風呂を沸かしているところ。 風呂沸かしは当番制です。)