2026年8月 表紙

1976年7月。
二十歳になって数日後、
私はアメリカへ向かう飛行機に乗っていました。
目的地はニュージャージー州ニューアーク空港。

胸には期待と不安、
そしてポケットにはわずか60ドル。

途中、LAX空港で
乗り継ぎをしなければならず、
どのターミナルへ行けばいいのか
係員に尋ねたものの、
片言の英語では
「Newark」が「New York」と聞き取られてしまい、
話がかみ合いません。

どう説明すればいいのかわからず、
途方に暮れたあの時間は、
半世紀が過ぎた今でも
鮮明に思い出されます。

ようやくたどり着いたニューアーク空港には、
建国200周年(Bicentennial)を祝った熱気の余韻が
まだ色濃く残っていました。

街も人も、未来へ向かうエネルギーに満ちあふれ、
「これがアメリカなのか」と
胸が高鳴ったことを覚えています。

それが、
私が初めて出会ったアメリカの姿でした。

あれから50年。

振り返れば、
その年月は長いようでいて、
過ぎてしまえば
驚くほどあっという間でした。

最初の十数年は、まさに「無我夢中」。

英語も、仕事も、生活も、
毎日が挑戦の連続でした。

それでも、その道のりを
一人で歩いてきたわけではありません。

数え切れないほど多くの人と出会い、
数え切れないほど多くの人に
手を差し伸べてもらいました。

励ましてくれた人、
支えてくれた人、
信じてくれた人。

その一つひとつの出会いが、
私の人生を少しずつ豊かにし、
今日という日へとつないでくれました。

もちろん、
順風満帆だったわけではありません。
思い通りにならないことも、
壁にぶつかったことも、
一度や二度ではありません。

それでも、
大きな病いに倒れることもなく、
家族や友人に恵まれて、
健康で幸せな日々を積み重ねることができました。

二十歳の向こう見ずな青二歳が降り立ったアメリカ。
そのときは、
50年後の自分など
想像もできませんでした。

今、あの頃の自分を思い返すと心に浮かぶのは、
成功や苦労ではなく、
ただひとつ、
「感謝」という言葉です。

人生は、
自分ひとりの力だけでは、
決して歩み続けることはできません。

あの日、
ニューアーク空港に降り立った一歩から始まった
私のアメリカでのストーリーは、
多くの人の優しさと支えによって
紡がれてきた半世紀だったのです。

そして、その感謝の気持ちは、
これから先も変わることなく、
私の人生の中で
最も大切な財産であり続けます。

フィカラかこ 記

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