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生きた英語:まずはコミュニケーション

個人的な話で失礼ですが、私の母方の祖父は、顔が中国人のような上に、中国語が現地の中国人より達者で、満州在住時代、ロシア人の軍人さんに、「お前は中国人のスパイだろう!」と疑われた、というエピソードさえ有る人でした。

 

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その祖父は、戦後、満州から岡山に引揚げてきて子供達が巣立ったあと、東京に移り、独学で英語をマスターし、鳩バスの英語ガイドさんを数年勤めました。 「石井」という名前は外人さんには発音しにくいので、"Itchy"という愛称で、持ち前の社交性を発揮してお客さん達に親しまれ、彼をご指名のリピートカスタマーも数多かったと聞きます。

彼の孫娘の私は、関西の高校を卒業したあと、東京に独り住まいしてビジネス学校に一年通い、同校から卒業後にアメリカへ渡る夢を何が何でも果たす決意で、アメリカに渡る経費稼ぎに色々とバイトをしながら、日々、英語の勉強をしていました。

英会話の難しさに頭を悩ませていた最中だった或る、私は、自分の住んでいた荻窪区の下宿 (床に座って一方の壁に肩をもたれて足を伸ばせばあちらの壁に足の指が届く広さ!笑) から歩いて行けるところに住んでいた祖父母のうちを訪ねましもうその頃には鳩バスのガイドさんから引退して、通信英語教室の添削教師をしていた祖父は、生徒さんから届いた英語テキストの添削中は周囲の空気が違うほどの集中力で、私が部屋に入っても、顔もあげず挨拶もほどほどだったことを覚えています。

その雰囲気を覚えているからには、おじいちゃんの出す Do Not Disturb サインに気が付いていたのでしょうが、若くて遠慮知らずだった私は(若さのせいだけではありません、あしからず。苦笑)、サインを無視して質問しました。

「おじいちゃん、英語、どうやったら話せるの?」

添削の仕事をする手を休めることもなく、相変わらず顔も上げないまま、私の質問にフタをするようにおじいちゃんの云った言葉が、今でも忘れられません。

「英語は話すものじゃない、伝えるものだ。」

忘れられないとは云え、まだ二十歳にもなっていなかった自分には、祖父がポツリと言った文句は、その時にはさっぱり意味が判らず、そのあと問答が続くムードでもなかったので、モヤモヤした気持ちのままに、その場は終わったことも覚えています。英語に限らず、言語は話すものではなく伝えるもの、という祖父の言葉の意味がようやく判るようになったのは、ごく最近になってのことでした。

(フィカラカコ)

参考文献: 右イラストは「なんで屋カード工房(www.nandeya-card.net/blog/)」